ブログのペース遅めですが、色々書いてます…!
書いてはいるんですが、途中であれ書きたい!とかこれ書きたい!とかいっぱい出て来て、中途半端な下書きばかりが溜まっております…!(言い訳)
今回は~南部お城めぐり 聖寿寺館編~をお届けします!
南部お城って? 御城印って?という方はこちらをご覧くださいね♪→ 南部お城めぐり~三戸城編~
それでは、お次のナンバー、聖寿寺館編です!どうぞ。
聖寿寺館 御城印の販売所
前回、三戸城を訪れ、その足で聖寿寺館(せいじゅじだて)へ向かいました!
三戸城から聖寿寺館までは、三戸街道を通りつつタクシーで10分ちょいだったかな?
まず見えてくるのは、聖寿寺館の発掘調査中の遺構!
今まさしく発掘作業中の方々がいらっしゃり、これはテンション上がります。暑い日だったので、外作業はちょっと心配ですが…!

これからどんどん発掘調査が進めば、もしかして復元なんかしちゃったりするのでしょうか?けっこう大規模な感じに見えました~!
そして史跡聖寿寺館跡案内所へ。

【南部藩発祥の地】の旗が堂々とはためいておりました☆
室町時代に入った頃、南部氏はこの三戸の地にある聖寿寺館を中心に周辺を治め、戦国時代にかけてさらに勢力を延ばしていきます。
この跡地からは、金箔土器や、高級青磁器などが出土していて、当時の南部氏の権力の大きさがうかがえます。
そして、こちらの案内所で御城印をいただくことができました!
三戸城の御城印と同様に、南部氏の家紋【向鶴】の朱印と、甲斐源氏の流れを組んだ【割菱紋】の金印が押してあります!
南部利康霊屋
南部利康霊屋(なんぶとしやすたまや)は、案内所で入場券を購入すると入ることができます。
案内所から歩いて1~2分のところにあり普段は鍵がかけられています。

この2本の杉が目印!

南部利康のお霊屋は、さらにこの黒く重たい扉のなかで厳重に管理されているので、案内所の職員さんが一緒にきて、鍵を開けてくださいます。(※お霊屋見学の際は事前連絡をするのが望ましいです)
中へ入ると、それはもう立派な霊屋が。
10分程度のCDで霊屋の説明を聞かせてくれます。
その説明通り360°見ればよかったのですが、早とちりな北織はあっちいったりこっちいったり忙しなく。
だって屋根を観るために階段が設置されていてテンションがあがってしまったんです…!え?馬鹿は高いところが好きだって??まあ否定はできません(笑)
正面は塗り替えしているようでとても鮮やかな装飾でした。まさに権力の誇示!というほどの細工も施され、ひとつひとつ飽きません。
建ててからしばらくは野ざらしだったために、背面の壁画は色褪せてしまっていましたが、かろうじてまだ見ることができます!
残念ながら中の撮影は禁止でしたので、青森県南部町公式HPよりご覧下さい☆南部利康の霊屋が建てられた理由もこちらに詳しくのっておりますよ~!
そして私が気になってしまったのがこちら。

歴史オタクあるあるだと思うのですが、まずどんな石碑にも足を止めて説明や碑文を読んでしまいますよね。
こちらは【八木橋藤十郎の墓】です。
八木橋藤十郎武茂は、24歳で逝去した南部利康の直臣で、利康の死の翌月、彼は殉死しました。行年26歳。
年の頃の近い二人は、上司と部下ではありますが、仲の良い友人のような存在だったのかな、など手を合わせながら色々想像してしまいます。
この頃よりもほんの少しあとの時代に、武家諸法度により殉死は禁止されます。
しかしこういう忠義のお話に弱いので、涙を流せずにはいられませぬ…!
聖寿寺館周辺のアクセス
☆住所☆南部町大字小向字正寿寺81-2